埼玉大学 スポーツ・マネジメント概論 犬飼社長語るレポ その2【浦和レッズ】
[埼玉大学 スポーツ・マネジメント概論 犬飼社長語るレポ その1]
【スポーツとビジネスの両立で好循環サイクルを創り出す】
トップチームの魅力に尽きる。これが経営上の理論の基本になる。ここの部分が最重要である。
レッズでみますと、過去10年間のファン・サポーターの方々の間では不満が指摘されてきたが、ここ2、3年は少しずつ満足のほうに近づいてきてくれている。目標としては満足から感動を与える次のステップへ進むのが最終的な目標である。
チームの活躍→観客動員が増える→収入が増える→後世への投資
市場価値が上がることになる。
【これらを背景にしたレッズの大きな3つのビジョン】
1.浦和レッズはトップチームとして見たいと思う魅力のあるチームかどうか。
・・・これは最優先で取り組むべく事。昨夜のゲームは・・・(苦笑)
2.サッカーを基点としてスポーツ文化を考え、スポーツ企業としての浦和レッズは私達が埋め尽くしたいと思うものではいけない。
・・・私が好きな言葉で「We are REDS」という言葉がある。クラブもチームもファンもサポーターも一緒であることが大事である。さいたま市というのは100万都市であるが、この町のチームということで地域に支えられたチームである。レッズのファンサポーターは、きちんとチケットを購入することで貢献するんだということが感じられ、我々にとってありがたいことだと思っている。
関西のチームの代表の人と話をするんですが、ファン・サポーターの人からのチケットの値引き交渉、招待状の要求に苦慮しているという話を聞いたことがある。そういう話を聞くたびに私たちは、レッズはサポーターとファンに恵まれているなと感じる。
東京、横浜、名古屋、大阪の大都市圏のチームの集客が伸びないというのは、なぜかと言う所を考えると、全国から集まった人々の集合体であることが多い大都会に住んでいる人は自分の住んでいる所へのIDENTITYのようなものがないからではないかと考える。
我々が生活をしている場所、本当の意味での地域に根ざした貢献であるこそ、第2の理論である。
地域のコミュニケーション、メディアとしてレッズのサッカーを見ることが、人々のコミュニケーションの活性化をまずまず増長する地域文化の振興、私たちのクラブとして活動を続けて行きたい。
レッズの試合終了後の「アフターバー」はそれである。埼玉スタジアムの近くで、ヨーロッパ風の光景が見られるなあと感激をした。
3.見せるスポーツからするスポーツへ
・・・スポーツ普及の考え方。三菱自動車時代にヨーロッパの生活が長かったのだが、ヨーロッパのほとんどの国では、村単位でスポーツクラブがあり、地域のほとんどの人々が17時になると残業もせずに、そのスポーツクラブで楽しんでいる。特に夏は日が高いのだが、17時になると全員が自分が所属をしているスポーツクラブに行って、汗をかいて楽しんでいる。
その一つ一つのスポーツクラブの運営理念というのが、青少年の教育の場と位置づける意識が非常に高い。違う国の友人二人にそれぞれ聞いたんですが、同じ事を言っていた。
「学校と言うのは知識を学ぶ所である。スポーツクラブはスポーツを楽しみながら、コーチだとか仲間から人間性や社会性を学ぶ場である。だからスポーツクラブのHEARTの優れたコーチというのは村の宝物なんだ。」
そういう印象を強く持って日本に帰ってきたが、学校というのは同じ年代を効率よく教えるヨコ社会である。
学校というのは、小学校から始まって大学までずっとヨコ社会である。家庭もおじいさんおばあさんと暮らすことも無く、核家族になっている。
そういった中で、年長者であるとかそういうタテ社会の経験を持たないまま、社会に出てくる。それに無防備な新入社員が多い。企業というのは思いっきり強烈なタテ社会である。免疫が無くて、やめてしまう人が多い。
そういった意味で、スポーツクラブは楽しみながら上下5、6年の人間関係の中で学ぶ場に最適である。今の学校社会に足りないものを補うものとして重要である。
企業の中では体育会系の人間を優先して採ろうという動きもある。先輩後輩OBの上下の経験をしている。
<レッズランド 現状>
14万平米(4万3千坪)の土地。80数名の地権者全員が賃貸契約を結んだ。そう言った事を浦和がやると言ったら全員が賛成してくれた。関係者には怒られてしまうかもしれないが、東京農大の半値以下で借りられた(笑)。本当にラッキーであった。
我々は3年の計画で、これを完成させようとしている。今、大株主のほうから「そんな良い事であれば、お金の問題は何とかするのでもっと早く完成させたらどうか?」と言われている。
日本という国を地球レベルで考えた時に、0.3パーセントの土地に2パーセントの人口がある。その過密な日本のに4万3千坪の土地が運動場として確保できたのは、本当にラッキーだったなと、こういったサッカーだけじゃなくて総合スポーツ施設になる。
指導者は野球では池山さんや栗山さんが「是非やらせてほしい」、神戸製鋼の平尾さんも「お役に立ちたい」、テニスでは伊達公子さん「こういう考え方に大賛成です」と返事を頂いた。
【クラブスポーツと学校スポーツの違いについて】
日本ではタテ社会を経験する学校スポーツと言うものがありますが・・・。
例えば、高校サッカーの強豪チームは学校の宣伝の一翼に担っている。学校として高校3年間で結果を出す事が、第一の目標でその為に選手を指導する。学校の指導者を見ていると、行われるのは「欠点の矯正」の指導が目に付く。これによって、個性の無い選手が多くなった。見ていても面白くない。
ヨーロッパのクラブでは、徹底的に長所を伸ばす。例えば、左足が得意だが右足が苦手な子供に対して、得意の左を更に伸ばすトレーニングをしている。得意なことを伸ばす事をやっている子供はとても楽しそうに練習をしている。その個性をチームを組み立てればよい。弱点がそれがあってもそこを担おうというのがヨーロッパである。
逆に、苦手なことをやっているトレーニングは非常に苦しそうである。埼玉大学を卒業されたら先生になられる方も多いと思うが、長所を伸ばすという寒天を是非入れて他の授業でもお願いしたいと思う。
最近、ユース、ジュニアユースでは、コーチが長所を伸ばすコーチングをしてくれている。これは非常に喜ばしいことである。
レッズランドというのは、そういったことを根本に地域社会に社会貢献をするものになる。
【現在の浦和レッズにおいて社長がしてきた事】
このように話をして来たんですが、ここでちょっとお時間をいただきまして、現在の浦和レッズの状況をふまえまして、わたくしが、2002年の4月以降、浦和レッズの社長になってから、ここまでお話ししてきたことをふまえて、やってきたことを、具体的に報告させてもらいたいと思います。
まず、社長になってから、浦和レッズの現状というものを把握したときに、それは3ヶ月くらいかかったんですけども、そののちに、いろいろ行動を起こしてきたんですが、その行動を起こすときに、その行動を起こす大前提は、前経営者、というのは、10年間に4人…5人いたんですが、その4人の経営陣と、根本的に違う環境を与えられた、ということをまず最初にお話ししたいんですが、
埼玉スタジアムは、2002年のワールドカップ用に作られたんですが、ワールドカップ終了後、開放されたんです、浦和レッズに。今までの経営陣は、駒場スタジアム…超満員にして2万人という背景しか与えられなかったんですが、私になった時には、埼玉スタジアムという、6万人の人が入れる、こういう背景を、経営の根本的な展開を組み立て直す必要がある、こういう判断があったんですけれども、これは、これから話すことは、そういうことが前提があるので、ということです。
なんだか、「こういうことをやった」とか「こういう風に変えた」とか言うと、前任者の批判みたいですが、そういうことではなくて、環境がまったく変わったので、組み立て直した、というのが(実情です?)
環境が変わった、ということと、環境が変わって6万人の人が与えられたということで、いろんなことを変えなきゃいけないということになったんですが、それは、誰も経験したことのない、結果も出てない、前例踏襲型の日本人としては、非常に難しいことでして、結果のない、想定できないことを決断していかなきゃならない、スタートだった、ということですね。
まず最初にやったことは、こういう背景をふまえて、浦和レッズというモノのあるべき姿、ということで、これがひとつなんですが、あるべき姿に、より早く近づけるために、フロント…浦和レッズにかかわっている人たちに、先ほどお話ししたような、ビジョン、というものを、納得してもらって、そして、これから浦和レッズがやらなければいけないことを、それのプライオリティを明確にして、たずさわっているフロントのすべての人が、考え方を打ち立てる、ということに精力を使った。
これは、私としては非常に難しいことでした。
それは、やはり10年という歴史を作ってきた、という自負を持った浦和レッズのフロントの人たち、今日も何人か来てるようですが、こういう人たちには、とても、理解…したくない。やはり、過去を否定された、と、要するに、被害者意識を持つ、こういうことが、実際にある。
こういう人たちに理解してもらう、ということが非常に大変だ、という…。 悪者でもなければ、これから新しいことをやろうよとしてるんですが、なかなか、その人たちには受け入れることができない、それはこういう中で、浦和レッズというものは、クラブは、改革しなくちゃならない、と言ったんですが、私が改革をしようと言うと、クラブの人たちが思っていたことは、今までの10年間の流れの中で、少しずつ改善を積み重ねればいい。
こういう改善というのは、改善と改革のちがいですが、改善というのは、今までやってきた流れを、ひとつずつ、そういう考え。改革というのは、過去からの延長線を断ち切って、全く新しいものを作り出していく、こういう考え方。
その二つの、まったく違うことですが、その差を理解してもらうことに、そうとう時間をかけた。 しかし今は、意識改革が進んできたんですが。
【環境整備】
<1.新しい血を混ぜる意識>
まず、三菱重工サッカー部、それから、浦和レッズという、こういう延長線からの撤収。
第三者がすると、これを、過去を否定されたと、これからスポーツ集団として、プロのチームとして戦って、勝っていく、ということでは、そういう…今までの延長線というと、どういうことかというと、かばい合う、文句を言わない、いわゆる「いい子」の集団、そういったムードが、ある意味で、純血の雰囲気が非常に強かった。
これに、手立てを打たなきゃいけない。血を混ぜなきゃいけない。
混血…これは差別用語かもしれないな、血を混ぜるということは、優生学上の比喩ですけれども、血を混ぜるということをある程度意識して、選手・コーチをとりました。都築とか、トゥーリオとか、酒井とか、そういう選手をとりました。これは、今までの浦和レッズにない個性をもった選手。コーチでいうと、柱谷。今までの浦和というものにない個性を持った人を、血を混ぜることを意識してとりました。
<2.練習環境の整備>
次に2番目に、環境整備が必要だということで、 まず練習場。大原・埼スタの環境整備ということと、与野八王子のコートに人工芝、照明灯をつけて、下部組織のジュニアとかユースの人たちが、いい環境で練習できるようにした。
それから、クラブハウス。これも、プレハブの、本当に崩れそうになっているところを、生活のスペースとする。プロとして、こういうところで それは違うだろう、ということで、新築をしたんですが。
新築をしたいということで、私がクラブに言ったところが、まずクラブの返ってきた答えは、それは、「見沼三原則」で、建物は建てられません、こういう回答があった。
本当に建てられないのか、ということを、さいたま市長に直接、私同級生なんですが、聞いたところ、「いや、2階までならいいよ」ということでした。条例だとか、原則だとか、年々変わってる。
これは、本当に建てたいと思うか思わないか、ということで、本当に建てたいと思ったら、ダメだとかって、誰かがダメ押ししてたら、「あ条例変わってたよ」となるところが、「どうせダメだよ」、と、条例でダメだよ、となったら、建てない。原則には勝てない、と。
この辺がひとつの、やり方の問題ではないか。本当に建てたいと思うか思わないか、というところが重要だと思います。
それから、医療体制を確立した。クラブハウスの中に、レントゲン室だとかドクターを常駐してもらうことにした。 選手たちが安心して練習できる、ケガしてもすぐ看てもらえる。 選手たちからは非常に好評です。非常に安心して練習に取り組めるし、ケガした場合にもすぐドクターが常時、練習場に待機している。安心して練習できる。
<3.指導者について>
指導者も変えましたが、これはみなさまご存じかと思いますが、オフトを解任した、ギド・ブッフバルトを招いた。
これは、ひとつの大きな決断だったんですが、やはりクラブとしても、オフトが選手を指導している場を見て、あれをやってはいけない、これをやってはいけない、ということが、あまりにも多すぎる。十代の後半か二十代の前半の、若いバリバリの選手たちに、あれやっちゃいけない、これやっちゃいけない、ということがあまりにも多い。
こういうことが直接的な契機で、これは変えるべきだろう、これから伸びる芽が、阻害されると思ったので、変えました。
これも浦和レッズにとっては大きなことだったと思いますが、ギド・ブッフバルトという人は、選手のポテンシャルを尊重してやらせる人。まったく逆です。
代表チームで言うと、トルシエとオフト。今のジーコとギドは似てると思います。私は個人的には、今のジーコの代表のほうがずっと面白いサッカーやってて可能性もあると思ってますが。
<4.普及体制>
それから次に、普及体制というものを整備しました。
それまでは、浦和レッズは地域に根ざしたサッカーの普及というものに、本格的に取り組んでなかった。
これはやるべきだ、ということで、みなさんもお気づきになっているかと思いますが、「ハートフルクラブ」という名前をつけて、埼玉県内を中心に、サッカーの普及活動に取り組んだと。一昨年は1万人の子供たちに接することができた。昨年は2万人、倍増です。
これは、埼玉県内いろいろ回ったり、(…)というかたちでサッカースクールをやったり、小学生を対象にやったり、幼稚園、保育園の児童にも。これは頼まれたら普及というのは本当に大切だと。 ハートフルクラブというのは、本当に浦和にとって大切な柱だと思ってますが、ただやればいいというものではなくて、子供たちと接するにあたって、やはり、ハートのいい人、すばらしいコーチというのが(必要で)、ハートフルクラブに行って、子供たちを指導してもらう、このコーチの人選、よほど慎重にやってます。これをまちがうと大変なことになる。
おかげさまで、浦和レッズでプレーした経験のある、どなたも非常にいい人間性を持った、OBの人たちが来てもらって、今のところ、普及活動に協力してもらっています。
【フロントの意識改革】
今まで言ってきたことが環境整備ですが、次に、フロントの意識改革というものについては、浦和レッズというモノは、誰のモノなのか、ということが、ちがっていたというか、はっきりしてないというか、非常にあいまいな中で経営・運営されていた。と思ったんですね。
これを決定していくことだったんですが、やはり、浦和レッズというものは、株主、社長のものでもないし、やはり、私は、一番は、ファン、サポーターのものだ。これを外したら、すべての考え方が違ってくると思います。
やはり、多くの人たち …昨日も5万人の人が埼玉スタジアムに来てくれましたが、その人たち、いつもTVで応援してもらっている人たち、そういう人たちのものだと、浦和レッズは。そういう考え方がきちっとたたき込まれていなかったら、すべての考え方がずれてくる。ちがってくる。
これが一番大切だということで、今、継続努力中ですが、2年半前来たとき、フロントの人が、大株主の方だけ見て仕事をしていりゃいい、地方自治体、役所のほうを見て仕事をしてりゃいいんだ、と。
ほんとうに私が一番大切だという、ファン・サポーターのほうを見て仕事をしてる人がほとんど見あたらなかったということに愕然としたんですが。
それを、すべての行動が、まずサポーターのためにどうあるべきか、ということが一番重要だろうと、そこをきちっとすることが大切だ、ということで…
これは今、かなり、フロントの人たち、変わってきてくれたんです。と私としては思っておりますが、まだまだだと…(むにゃむにゃ)
簡単ですけどそういったことを、この2年間にやってきたんですが、そういう浦和レッズが、経営のアイディア、そういうものをやってきましたけど、スポーツとビジネス、そういう、今までには考えられなかった、ある意味矛盾するテーマ、このテーマを両立させるということが、スポーツマネジメントのあるべき姿なのであって、見せるスポーツ以外の、見る、体験するスポーツ、学ぶ、…スポーツのこういう在り方が、今不可欠なものになってきている。
文化としてのスポーツ、その育成と、スポーツを楽しむ裾野の拡大、スポーツに自立できるビジネスモデルを実現して、スポーツの発展に必要な資金を得る。その方向を満足させるために経営するのですから、スポーツマネジメントの存在意義があるのだと思っています。
私は、社会貢献することが、スポーツビジネスにつながっていく、こういう経営戦略の領域があると確信しております。
そして、さきほどもお話ししましたが、何よりも大切なことは、今、世界中の企業が見直されています。その企業の本当の目的は何か、こういうことを探し続けて経営していく。こういうことが、本当に、経営戦略の最重要な政策(である)、こういうことは、今すべての企業にあてはまる。
私は、総合スポーツクラブ浦和レッズが先頭になって、埼玉県の生き方を変え、それを全国に健全なスポーツ文化を定着させて、次代の健全な日本人を育ててゆく旗振り役に、浦和レッズがなっていきたい。
こういう高い理想を掲げて、夢を追っていきたいと思っています。
浦和レッズは、この目的にかなった、みなさんの活動に還元していく、そういう考え方です。
長々とお話ししましたが、これでわたくしの話を終わります。
(拍手)
【質疑応答】
埼大生ががやがや退場したのでうるさくて聞こえづらかった(苦笑
Q.クラブスポーツマネジメントとして、レッズが目標とする欧州のクラブに比べてレッズの弱点は?
A.トップチームの成績に売り上げが左右されること。そこを補うものとしてレッズランドがある、というようなことでした。
以上。
画像とテープ起こしには、アルパイinRedsのわかばさんに多大なる協力を頂きました。ありがとうございました。
(おしまい)