Aリーグ、ゼリッチのインタビュー。

サッカー:Jリーグでプレー・ゼリッチが活躍 豪新リーグ−サッカー:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/soccer/news/20060322k0000e050053000c.html


 オーストラリアの新しいサッカーリーグ、Aリーグには、かつて日本のJリーグでプレーした選手が何人も活躍している。その一人、ニューカッスル・ジェッツで主将を務める元浦和、京都のDFネッド・ゼリッチ(34)にニューカッスル市内で話を聞いた。【安間徹】

 −−03年ナビスコカップでは、浦和に初タイトルをもたらした。

 素晴らしい思い出だった。みんなとても待ち焦がれていた初優勝だしね。僕はその年限りで退団したけど、帰国する時、200人のファンがサヨナラを言うために空港に見送りに来てくれた。

 −−優勝直後には、興奮したファンが乱入し、あなたの優勝メダルを持ち去るというハプニングも起きた。

 結局、手元に戻らなかったけど、その代わり、ファンの子どもが、折り紙などで作った手作りのメダルを500個ぐらいプレゼントしてくれたのには感激した。

 −−Aリーグの環境は。

 観客数はJリーグに比べて劣るけど、1年目にしては、水準、質とも健闘している。ただ、もっと優秀な外国人選手を加えることが、レベル向上には欠かせない。そのためには、現在、各チームあたり150万豪ドル(約1億3000万円)の年俸総枠の上限を引き上げることも考えないといけない。

 −−あなたは99年、当時のファリナ監督と衝突し、豪代表引退を宣言した。それがなければ、W杯の舞台に立てたかもしれないが、未練は。

 自分のとった行動に後悔はしていない。当時、自分は1860ミュンヘンに在籍し、代表招集に応じて戻ってきた。親善試合は2試合。その2試合目の前日、突然、ファリナ監督に、若手を試験的に使ってみたいので先発から外す、と言われた。すぐ、ホテルに戻って荷物をまとめ、ドイツへ戻る旨のファクスを協会に送ったよ。もっと前に説明を受けていれば自分も納得できたのに。ヒディンク監督に代わり、周囲からは『復帰したらどう』とよく聞かれるけど、あれからもう随分年月もたっているからね。

 −−あなたの両親はクロアチアからの移民。そのクロアチアとW杯1次リーグF組で対戦することになった。

 自分の両親は69年に移民した。オーストラリアは自分の生まれた国。両国の試合は、きっと複雑な気分になるよ。

毎日新聞 2006年3月22日 12時37分


 W杯で見たかったですね。あのふわっとしたロングフィードとか好きだったんだけどなぁ。