「慢心」ってそんな簡単に言っちゃうんだ。【浦和レッズ】

よくもまあ「慢心」という言葉がポロポロと出るものだなぁと昨日今日ネットを見て考える。

「慢心」って言葉を簡単に使いすぎやいませんか?って思うんですよ。凄く自分の事をヒトゴトみたいに書いているというか・・・。

負けるまで殊勝な心がけで書いてるのを、全否定している訳であって「自分は全くもって信用のない人間ですよ」って言っているようなもんじゃないですか。



思うにこの敗戦、悔しかったらリーグ再開時まで、沸々としながらその「自分の牙」を磨いていればいい。でも書くのは何かかっこ悪いなぁと思いつつ徒然。



昨日今日賑わしている媒体の記事は、いわば何次的かのフィルターのかかった伝聞(選手→記者→編集→新聞)であり、自分はスタジアムで観た事、感じた事を大事にしたい。



それに対して、あえて何かコメントを付けるとすれば、やっぱり敗者は何も語ってはいけないのですよ。だからこんな日記も本当だったら書かない方がいい。



選手の視点で考えてみようと思ったが、割愛。

以下は、あくまでもその時感じたコトとその後の事は想像の産物なのであしからず。

2-1負けた後の2006年の九石ドームでブーイングが起こり、その中で大声で4番に何か大声で伝えていたサポ何人か。その声に向かって何かを伝えるように胸を叩いたか何かを発していた4番。印象的だった。

その後、それに応えてくれるだけの活躍を見せたのは言うまでもない訳で。

今回の記事にあえてコメントを付けるとすれば、負けて悔しいのが彼独特の「本音」になって出た結果。

個人的な選手の好き嫌いとかもあるかもしれないけど、浦和人ならそういうのを示すだけの活躍を期待したいし、またそれを鼓舞すればよい。



一番上のコメントを投げた時に返してもらった言葉を最後に。



「慢心」って言葉が軽々しく多々出てくるのは、他者と比べて優位かどうかばかり比べる状況・世情になっている現れだと思っています。そもそも慢心の指す意味ってそんな事ですよね。

そこから、見つめ直して「自分」が確立出来れば(ここでは、「浦和者としての」立ち位置って意味)、昨日の様な負け試合の後だと、自らを恥いて、あの時ちゃんと声をだしていたのか?サポートしていたのか?準備は出来ていたのか?自分は現場で何をしていた?・・・etc って自己嫌悪の無限ループではありますが(泣笑)、これが愛すべき浦和者の姿だったと思うのです。

これをじゃましているのは慢心からくる「自我」であり、勝つ体験ばかりの方々は、さらに利己主義的な視点で、浦和ってフィルターを通してJリーグをみているから、耐えられないでしょうね・・・昨日の状況は(苦笑)。責任転嫁の前に、自らを恥じる事がなくなりました。それが、オレや木崎育ちさんがうっすらと感じている事かもしれませんね。